商売繁盛 女性社長の神社参拝での願い

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ここのところ、私が経営している会社がなかなか業績を上げる事ができずにもがいているのが悩みだ。
私生活にまでこの悩みが侵食してきている事に気づかせてくれたのは家族だった。

「お母さん、最近なんかすぐ怒るし、コワイ」
と子どもたちに言われてハッと気が付いた。

そういえば、最近家でもイライラする事が多くなり、つい家族に当たり散らしてしまっていたような気がする。

夫からも「仕事の疲れが取れてないみたいに見えるけど」と心配されていた。

そして私は自分の会社の行く末を案じる事に、徐々に疲れを感じるようになっていた自分を自覚した。

そうは言っても、会社の事を何も考えずにいるわけにもいかず、かといって色々やってみても努力だけではどうにもカバーしきれない、何か大きな壁のようなものがわが社の前に立ちはだかっているように、売り上げは伸びなかった。

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もともとは、趣味でやっていたデザイン業。
幼い頃からデザイナーになるのが夢で、それはそれは沢山の服をデザインした絵が家に散乱していた。

両親はそんな私を、子どもの頃はひたすら愛でていたので、自分でデザインした服をオーダーメイドで仕立ててもらってプレゼントしてくれたり、ミシンなどを買い与えてデザインした服を自分で作れるように取り計らってくれた。

私はそんな環境でのびのびと育ってきたが、それでも両親は私のデザイナーへの憧れと、デザインへの熱意は「趣味」に留めておけという事も忘れずに教育した。

私は「夢ばかり見ていないで、現実をしっかり見つめないと」と、自らその道を志す事を諦め、大学では商学部を専攻し、周りの学生たちと同じく就職活動にいそしみ、とある企業に拾われて、マーケティングに携わる仕事を始めた。

仕事が嫌いというわけでは無かったが、私の「趣味」は、やはり洋服のデザインと、それを作り出す事だったので、よく知人などに頼まれて服のリメイクをしたり、オリジナルの子ども服を作ったりしていた。仕事よりも、こちらの方が当然充実感を味わえていたが、仕事と趣味のバランスなんてそんなもんだよな、と思って、その時は大して気にもしていなかった。

それが、ひょんなきっかけで夫になる人と出会って、付き合うようになり、結婚の話が出た時に「好きな事だけやれば良い」と言われた事で人生が大きく変わった。

「働きたくなければ専業主婦だって構わないし、働きたければ自分も協力する。今の仕事を辞めて別の事がやりたいのあれば、それも全力で応援する」夫はそう言ってのけた。

それで、私は思い切ってデザイナーになりたかった旨を伝え、それを仕事にしてみたいと話した。
夫は二つ返事で快諾してくれて、私は家で個人的に洋服のデザインと、製作を請け負うアパレルブランドを立ち上げた。

最初は本当に個人で家事の傍らに、くらいにしか思っていなかったのだが、有難い事に需要が伸びて一人では手が回らなくなり、人を雇う必要が出てきた。
そして、商学部で学んだ知識を生かしながら、私はアパレルブランドを会社として立ち上げる事に決めたのだ。

従業員数は少ないが、立派な会社だ。彼らを養わなければならない。そんな責任感がついて回ったが、自分の思い描くように会社運営していけるという事は私にとって喜びでもあった。

最初から順調というわけではなく、常に収支の数字と睨めっこして、従業員たちの給料をねん出するのに必死だった。会社として利潤も上げなくてはならない。
月額いくら、という商売ではないので、毎月決まった額が必ず入ってくるような保証も無い。

そんな悩みを抱えるようになり、最近、人は増やしてきたものの、業績が追い付かずに、どうしたものかと思っていたところだったのだ。

社長自ら、と言われても構わない、と思い、自分からどんどん営業に走り回り、社員たちの現場の声にも耳を傾け、お客様とも直接話し、私なりの努力はし尽くした。
それでもダメというならば、もうあとは神頼みしか残されていないだろう。

人事を尽くして天命を待つ!
ええい、こうなったら神頼みだ!
神様、仏様、どうかわが社にお力を!

もともとくよくよ悩むのが苦手な私は、ある日、突然そう思い立った。

私は商売繁盛のご利益があるとして有名な神社へお参りに行くことにした。

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近いところでどこが良いか探してみると、意外な事に車で1時間もかからずに行ける場所に、商売繁盛の神様がまつられた神社があるという事が分かった。

早速そこへ行ってお参りしようと思ったが、実は参拝の仕方がいまひとつよく分かっていないという事に気付いた。奇しくも、神社探しのためにインターネット検索をしていた時に行きついたページの関連リンク先に「神社にお参りにする時の作法」や「神社で侵してはならない8つの禁忌」など、私の知らない情報が得られそうなものがあった。

それらのページに飛んでみると、知らなかった事が沢山書いてあった。

インターネットの情報を拾っているわけで、全部が全部真実という事もないのだろうが、2つ3つとサイトを渡り歩いてみると、同じような事が書いてあったりもして、参照程度に、自分に実行できる事はやってみよう、そしてやらない方が良い事をあえてやる事もないので、避けられる事は避けよう、とそう思った。
そんな中、とても驚いた決まり事があった。

なんと、参拝する時に「いきなりズケズケと願い事だけを神様に言い放たない方がよい」というのだ。
ズケズケと、は流石に、とは思ったが、一体どういう事なのだろう。

よくよく読むと、どうも神様はあなたの事は全てお見通しで分かっているから、あれやこれや願い事をしなくても、ちゃんと分かってくれるという。しかも、ある願い事をして、仮にそれが叶ったとしても、果たして人生通して考えた時に、それで良かったのかどうかというのは分からない、というのだ。

つまり、例えば「大学に合格できますように」とお願いし、仮にそれが叶ったとして、その大学で何か大きな事件に巻き込まれるかもしれず、浪人して別の大学に入学した方が平和で幸せな人生が送れたかもしれない、というのだ。逆に、希望する大学に入れずやむを得ず滑り止めで合格した大学に進学を決めたら、その中で優秀な学生に選ばれ就職に有利になる、という可能性だってある。
人生とはどこでどう動くか、分からないものなのだ。だから目先の事ばかりお願いするのは間違っている、という、そんな内容だった。

ではどうしたら良いのか。
「身の回りのこと、これからもよろしくお願いします」
とだけ伝えれば良いと、私が読んだ記事にはそう書いてあった。

なるほど、確かにそれならば分かるような気はする。
神様が全て分かっていて、何でもかんでもお見通しだというならば「よろしく」とだけ伝えておけば十分だろう。

しかし・・・他にも読んでいた記事で、参拝時にはまず氏名、年齢、住所を小声でも良いから声に出してお伝えして「私はどこどこのだれだれです。来ましたよ」と伝えなければならないと読んだが、神様は全てお見通しなのでは・・・とも思ってしまった。

いやいや、これはきっと、面接みたいなものなのだ。
面接官はどこの誰がやってくるかは承知しているが、受験者はきちんと名乗って自己紹介するように、神様に対しても礼儀としてきちんと名乗り、そして図々しくお願いばかり述べて帰るのではなく、「よろしくお願いします」とだけお伝えすれば、それで十分だという事だろう。

また、別の記事には「日ごろの感謝の気持ちを伝え、自分の決意表明をし、自分以外の人や世界レベルでの願い事をしてから、控えめに自分の願いごとを伝える」という方法も紹介されていた。
これも参考になりそうだな、と思った。

なんといってもインターネットの情報ではあったが、それでも何も知らないで参拝するよりは、事前にいくらか知識を得る事ができて良かった。

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車を走らせて、神社へと向かう車中、私は神様について考えてみた。

なんでもお見通しの神様、でも結構好き嫌いが激しくて、なんでも寛容に受け入れてくれるというわけではなさそうだ。なんだか、私の父に似ているような気がして、クスリと笑ってしまった。

神様というのは、案外人間味溢れるキャラクターなのかもしれない。そう思いかけて、いやいや、そんな風に慣れ慣れしく思っていては怒られてしまうから、きちんと敬意を払ってお参りしよう、そう心に決めた。

境内に足を踏み入れると、流石、商売繁盛の神様がまつられているというだけあって、商売繁盛を前面に押し出したお守りやお札、招き猫やダルマなどの縁起物が並べられ、売られていた。
店や会社内に置くものだろうか、かなり大ぶりなものが目だっていた。

ひとつくらい買っていけば、ご利益があるかもしれないな、とそんな事を思いながら、拝殿へと向かう。

道のど真ん中を歩かないように気をつけて、謙虚な気持ちで拝殿の前に立つと、すっと背筋が伸びるような気がして、私は神社とはこんなにも神聖な場所で、こんなにも静謐な気分になれる場所なんだ、と軽く感激を覚えた。

事前に勉強した通りに、作法を守って参拝するのは、少し気恥ずかしくもあった。
なにしろ時間がかかる。

まずお賽銭はゲンを担いで「二重のご縁がありますように」という事で25円を、そして「100年お店が続きますように」という願いも込めて別に100円も、それぞれ投げ入れた。
そして鈴を鳴らし、神様に来訪した事を教えてから、習った通り、口の中で名前と年齢、住所をつぶやいた。

その後、心の中で、まずは自分が長年の夢だったデザイナーという仕事ができている事、そして会社まで立ち上げるに至ったという事に対する感謝の気持ちを唱えた。

色々とお取り計らいをいただきまして、ありがとうございます。家族の理解にも支えられ、おかげさまで幸せな人生を送っております。
そして、自分自身がしっかりするという決意表明をした。

私も一層努力し、精進し、社員たちにも幸せな人生を歩んでもらえるよう、また、少しでも弊社が人様のお役に立ち、世の中の笑顔を増やしていけるよう努めます。といった具合に。

そして最後に結びの句として、今後ともどうぞ私どもの事を見守っていてください。どうぞよろしくお願いいたします。とだけシンプルに祈って、顔を上げた。

不思議なもので、なんだかとても晴れやかな気分だった。

これまで、参拝などに訪れて、お願い事をあれやこれや並べると、自分がなんだか卑しい人間になったような気持ちになる事もあったのだが、今回はとてもスッキリした気分になった。

よし、これで全て大丈夫、という直感があった。

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その直感は確信といっても過言ではなかった。
私の想いは神様に届くに違いないという確信だった。

こんな風にお参りしたのは初めてだった。
いつもただ願い事を一方的に突きつけるだけだった。

感謝の気持ちを改めて(心の中でだが)言葉にして唱えて、所信表明も(こちらも心の中でだが)きちんと言葉にして唱えただけなのに、これだけで神様は見守ってくれるんだ、という気持ちになっていた。

言霊という言葉があるけれど、本当にその通りで、言葉に魂が宿ったように私を鼓舞してくれた。

帰りに何かご利益がありそうなものでも買っていこうかと思っていたが、ご利益目的というよりも、今日のこの気持ちを忘れないために小さなお守りを購入して帰った。

それから、私は常にこの日の事を忘れないよう、初心忘るるべからず、と自分に言い聞かせながら働いた。

その甲斐あってか、はたまたお参りしたご利益が出たのか、どちらか分からないが、会社の業績がじわじわと伸び始めた。

従業員の1人が提案した、SNSを上手く利用した宣伝方法が当たったのだ。

写真を公開してハッシュタグをつけて拡散してもらう事で、プレゼントが当たるキャンペーンを実施してみたところ、かなり反響があり、最初は知人などにシェアをしてもらっていたのだが、徐々にシェアの輪が広がっていき、私たちのブランドの認知度が上がった。

それからは、新規のお客様がぐっと増えて、受注数が伸びた。

小さな会社なので、少し受注数が上がっただけで、売上げの伸び率が目に見えて上がったし、社員たちに還元できるようにもなった。
私の気持ちもかなりラクになった。

気持ちに余裕ができると、家族にも優しく接する事ができるようになり、家族の中にも明るさや笑顔が戻ってきた。そうなると、家庭が憩いの場となって、良いサイクルができた。
家庭で充電できるようになると、仕事にもメリハリが出てきて、心にできた余裕もあいまって、色々な事にチャレンジしたり、多少失敗しても大丈夫と思えるようになった。

その思い切りがまた大きな成功を呼んで、私のブランドは順調に成長を遂げた。

商売繁盛の神様は、ちゃんと私たちの事を見守ってくださっているのだ。
儲かりますようにとか、事業が上手くいきますようにとか、そういう願掛けばかりするのではなく、日ごろの感謝の意を述べて「よろしくお願いします」とだけ伝えれば、万事見守って上手いこと取り計らってくださるのだ。

そんな事を日々実感しながら、私は今日も感謝し、気合を入れて、仕事人として、妻として、そして母親としても、充実した毎日を送っている。

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