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子どもの手が離れるのは、良い事に違いない。
成長し、親離れし、独り立ちしていく過程で、親は、少しずつ自分の時間を取り戻していく。
妊娠し、出産し、休職か退職か迷ったのだが、もともと中小企業勤めで、あまり福利厚生が充実しておらず、産休や育休中は給与が全く出ないとの事だったので、特に「絶対に復帰したい」という強い意志もなかった私は、子育てに専念したいという事もあり、退職する事にした。
幸いな事に、1人目を授かって、翌々年に2人目も出産し、2つ違いの子どもに恵まれた。
私たち夫婦の実家が少し離れていたため、子育てはそれはそれは大変だったが、主人がしっかり稼いでくれたため、私は一切働く必要が無かった。
上の子が幼稚園に通うようになり、少しだけ余裕が出て、下の子も幼稚園に行き始めて、ようやく一人きりになれる時間ができた。
とはいえ、その時間に家事をまとめてこなし、買い物へ行き、やる事はてんこもりだった。
そうこうしているうちに子どもたちは小学生になった。
低学年から中学年、高学年と大きくなるに従い、学校にいる時間が長くなったが、しかし、それぞれ習い事に2、3個通わせていたため、下校後の送り迎えなどは大変だったし、宿題の面倒を見たり、学校で必要なものを準備したり、また「友達をうちに呼んで良いか」というのに対応したり、何かと忙しかった。
中学生になったらなったで、今度は塾通いで夜の弁当まで作らなければならなくなり、部活に入り、帰宅は遅くなったものの、上の子が運動部に入ったため毎日大量の洗濯物が出て、てんやわんやだった。
下の子は吹奏楽部に入ったため、朝から晩まで練習に明け暮れていたが、洗濯物はそれほど出ず、非常に楽だった。
それが、上の子が高校生に入り、何を思ったのか吹奏楽部に入部したのだ。
妹が少し羨ましかったそうで、吹奏楽部に憧れを持つようになったという。
上の子が入った高校の吹奏楽部は、かなりの強豪校で、練習は毎日夜遅くまでおこなわれ、更に土曜日も日曜日も朝から晩まで練習だった。
大変そうだったし、私自身も朝早くに家を出られてしまうため、早起きして弁当を作らなければならず、それはそれで大変だったが、日中に時間ができた。
下の子はその頃は中学2年生で、部活動では中心になる学年として、これまた遅くまで学校に残って練習していた。
子どもたちも徐々に自立しはじめ、学校で必要なことなどの面倒をいちいち親が見てやらなくても自分でできるようになってきたし、だんだんと手が離れてきているなぁと思いながら、私の1日の持ち時間から子どものために費やす時間がどんどん減ってきているという事に気付いた。
ある時ふと、昔よりも、テレビの前でボーっとしている時間が長くなったと自覚したのだ。
朝、上の子、主人、下の子の順に家を出ていくのを見送り、その後洗濯物を干したり家を掃除したりして、10時頃にはやる事が無くなる。
そして「ふぅ」とひと息つくためにお茶を入れて、お茶菓子を齧りながらワイドショーを見始めてボーっとしていると、もう12時になっている。
余りものなどで軽く昼食を済ませ、またテレビ。
14時頃洗濯物を取り込み、畳み、アイロンをかけ、夕方のタイムセールまで時間を持て余すので、またテレビ。
そして夕方、近所のスーパーに買い物へ行き、夕飯の支度をするものの、子どもも主人も帰りが遅いので、19時前にひとりだけ先に食べて、下の子が20時過ぎに、上の子が21時半ごろに、そして主人が22時を過ぎたころに帰ってくるのを、またテレビを見ながら待つ。
そんな毎日だった。
主人は仕事で部長職に昇進し、沢山の部下を抱えて責任感を持ってバリバリ働いていた。
上の子は、吹奏楽部の強豪校で毎日練習に明け暮れ、日々自分の力が伸びていくのを実感していた。
下の子は、同じく吹奏楽部で中心学年としてコンクールの準備や後輩指導に熱心に取り組んでいた。
そんな中、私は、毎日ルーティーンの家事を無難にこなし、ワイドショーや昼ドラ、通販番組を眺めるだけ。
何も、やりがいを感じられるものや、熱意をもって取り組めるようなものが無かった。
なんだか、とてつもなく無駄な時間を過ごしているような気がしてならなかった。
働かなくて良いという家庭環境には本当に感謝している。
しかし、人はお金のためだけに働くわけではない。
赤ちゃんは泣くのが仕事。
子どもはよく遊ぶのが仕事。
学生は勉強するのが仕事。
主婦は、家事をするのが仕事…?
たしかにそうだ。
主婦は、家事をするのが仕事だ。
でも、その仕事にも、波があり、今の我が家は完全にピークを過ぎている。
今私がやらなくてはならない「家事」という仕事は、私には物足りない。もっと、何か「生きている」と実感できるようなものが欲しかった。
「私も働きたいなぁ…」
そんな事をぼんやりと考えるようになった。
鏡を覗き込んでも、冴えない中年おばさんのやる気の無い曇った瞳が見つめ返してくるだけで、主人や子どもたちの瞳に宿る輝きは感じられなかった。
これでは人生、勿体ない、そう思うようになった。
そこで私は思い切って主人に「私も働こうかと思ってるんだけど」と相談してみた。
主人は「もしかして俺の稼ぎ、足りてないとか?それか子どもたちの学費?塾代?留学したいとか言ってるのか?」と、不安そうに聞き返した。
私は慌ててそれを否定した。
「違うのよ、そうじゃないの。あなたの稼ぎで十分事足りてる。だから本当に心から感謝しているの。でも、子どもたちがもう私の手を離れて、世話をする必要が無くなってきている。だから時間を持て余しているの。お金のためというよりは、私自身のために、外に出て働きたいの」
これで主人も納得してくれるだろうと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
「とはいっても、お前、何か今から入れる会社とか、今からできる仕事みたいなものってツテか何かあるのか?」
と、心配そうだ。
「何かパートとかでいいのよ」
うーん…と主人は黙ってしまった。
「45歳を過ぎて、未経験で初心者で雇ってくれる会社はまず無いと思った方が良いし、そういう人でも働ける仕事だと、お前が言うようにパートのおばちゃんというイメージになるんだろうけど、時給が低かったり、仕事内容がしんどかったり、あまり良い話を聞かなくてな…」
現役で働いている主人がそう心配するのだから、本当なのかもしれない。
私はにわかに不安になった。
「まぁ俺はお前がやりたいようにやったら良いと思うけど、家庭を顧みないような行動だけは取らないって、信じてるけど、そこだけよろしく頼むよ」
主人は「俺も何か良い仕事無いかちょっと探してみるか~」とも言ってくれた。
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私は、ひとまずどのような仕事があるのか、それが気になって、職探しをする事にしてみた。
条件は割と分かりやすく、絞りやすかった。
47歳の女性が未経験で働けて、車の免許も持っておらず、自宅から電車でせいぜい15分程度未満の場所にある職場、というものだった。
この条件は、我ながら結構厳しいものでは、と思い、これだけ絞れば何かピッタリなものが見つかるだろうと予想した。
実際、思っていたよりも多くの仕事がヒットした。
私の予想通り、清掃員の仕事の募集がかなり多く、活躍している年齢層も40代後半から60代ぐらいまでで、敷居は低そうだった。
ただ、給与面ではどうしても最低賃金で出している求人がほとんどだった。
それに私は、ちょっと我儘かもしれないが、家事でやっている事はやりたいと思えなかった。結局のところ、家事とやる事が同じならば、働きに出る意義を感じられないと思ったからだ。
だから、掃除洗濯、それから調理系の仕事はなるべく避けたかった。
接客業の求人も割合に多かったが、これにはかなりの不安が付きまとった。
実際、自分自身が大学生の時に接客のアルバイトを経験し、あまり良い思い出が無かったからだ。
私はファストフード店で接客とキッチンの仕事をしていたが、なにせ覚える事が非常に多く、働き始めた頃は本当にしんどかった。
それに季節によりメニューがコロコロ変わるため、いちいち覚えなくてはならず、また、客のオーダーも覚えなければならず、とにかく覚えなくてはならない事が多すぎて、常にピリピリしていた。
その時、同じ店舗で働いていた40代後半、今の私と同じくらいの世代のパートの女性が、忙しさと覚えなければならない事の多さと接客のストレスなどで、わずか2ヵ月で辞めていってしまったのをこの目で見たのだ。
そしてそんな彼女の姿を見て「今の私だってこんなにキツイのに、あんなおばさんじゃ絶対無理だよね…」と思ったのをよく覚えている。
そんな「おばさん」になってしまった私には、あの仕事をやれと言われても絶対にやりきれない自信があった。
だから、接客系、飲食店系もできれば避けたかった。
なんとなく「働こうかな」と思った時は、特に「こんな仕事が良い」とか「こんな仕事は嫌」など思っていなかったが、実際探し始めると、自分の要望にピッタリとマッチした仕事が少ない事を思い知った。
そんな中で、比較的「これ、いいんじゃないかな…」と思えたものがいくつかあった。
それらは全て共通して工場での単純作業という求人だった。
40代女性歓迎!と書かれてある嬉しいものもあったが、どれも年齢に関係なく初心者や未経験者を歓迎してくれていて、家から電車で10分程度のところに工場があるというもので、さらに給料も最低賃金よりも高い金額に設定されていた。
仕事内容は、簡単な単純作業と書かれており、ピッキングや梱包であったり、組立て作業であったり、菓子パンや和菓子などの製造過程に入っての単純作業だったり、そのようなものだった。
私が暮らしていたのは、いわゆるベッドタウンと呼ばれるような都心から少し離れた郊外だったため、周辺に工場が点在しているようだった。
私の思い描いていた条件は全てクリアした上で、更に嬉しい事に、時間や曜日が指定できたり、週に3日でもOKと書かれていたり、更に嬉しいメリットが沢山謳われており、私はいくつかピックアップした工場勤務の仕事から、アプローチをしていく事にした。
その日会社から帰宅した主人も、色々な求人情報を見たり、会社の同僚たちにも話を聞いたりしてくれたらしく、どこそこの奥さんはこんな仕事をしているらしい、などの情報を持ってきてくれた。
その中には工場で働いているという情報もあり、しかもかなり良い条件で働けるらしいとの事だった。
「私もちょうど工場で働くのが良いんじゃないかと思ってたところだったの」と言い、そこから2人で少し相談して、良さそうな求人案件を2、3個まで絞り、優先順位の高いところから応募する事にした。
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人手が足りていないのか、たまたま運が良かっただけか、理由はよく分からないが、私は幸運なことに第一希望の工場ですんなり採用が決まった。
自宅がある最寄り駅から専用のバスが出ている工場で、バスに揺られる事15分程度で工場に到着する。
勤務時間は朝10時から夕方18時。途中1時間の休憩が入るため7時間勤務だ。
時給はなんと1,300円だった。1日働けば9,100円も頂ける。1週間で45,500円だが、実は私は土曜日にも働こうと思っており、土日は休日手当てがつき、時給が100円上がるため、平日のどこか1日休んだとして主婦がパートで1週間で46,200円もお小遣い稼ぎできるのだ。
1ヵ月働けば余裕で20万円をこえる事ができてしまう。
そんなに稼いでしまって大丈夫かしら、と思ってしまうくらいの好条件だった。
朝が遅いのも、主婦としては助かる。洗濯物を干して、パパっと掃除を済ませて、ちょうど良いくらいの時間だった。夜も、スーパーのタイムセールにピッタリの時間に帰って来られる。
仕事内容は、勤務先の工場で扱っている商品の仕分けと梱包の作業だったが、これがなかなか面白かった。
作業内容そのものは、簡単な単純作業ですぐに覚えられてしまうものだったが、扱う商品が日によって異なったため、毎日朝作業内容を教わり、その日はその作業に集中するというもので、しばらく経つとまた同じ商品を対象に作業する日もあったが、そういった日でも、必ず朝作業手順を説明してもらえたので、安心できた。
ただただ同じ作業ばかり繰り返すだけという事もなく、しかし覚える事が大量でコロコロ変わるという大変さも無く、飽きる事なく新鮮な気持ちで、かつストレスを感じずに作業に取り組むことができた。
私の日々に張り合いができた。
仕事をするってなんて充実した事なのだろう、と思った。
今まで毎日何時間も見ていたテレビを見る時間がほとんど無くなったが、まったく問題ではなかった。だらだらとやっていた家事も、短時間で集中してできるようになり、作業効率が上がった。
共働きのご夫婦でも毎日が上手く回っているのは、このように隙間時間を上手に使って家事をこなしているからなんだな、と思うと同時に、しかしやはり子どもが小さい頃はしんどいから、こうして手が離れてから働くという選択ができて本当に良かったな、と改めて主人に感謝した。
今までは主人の稼ぎだけで十分に生活できていたが、月に20万もの大金を手にする事ができて、家計の余裕が増した。
これは我が家にとっても、さらには個人的にもとても大きな出来事だった。
家計的には、子どもたちの部活動と関係している。
吹奏楽部でがんばった上の子が、音大受験を考えるようになっていたのだ。
普通の私立大学へ通わせるよりも高くつく音大を受験しても良いよ、何でも好きな事をやればいい、と、おそらく私が工場で働いていなければ簡単には口に出せなかっただろう。
将来の事などを考えて迷ってはいるようだが、選択肢を親の都合、家計の都合で狭めてしまう事を回避する事ができた。
また、下の子の進路も、上の子の選択に左右される事なく、自由に決めて良い、と胸を張って言えるようになった。
パートで働いて、子どもたちの部活代を払っても自分のお小遣い稼ぎができ自分の人生にも張りが出た。ものすごく高額なものは無理でも、大好きなブランドものを買えるようになったからだ。家族に気兼ねなく、お洒落して主婦友とランチしたりすることもできるようになった。主人に負担をかけることもなく、子どもたちの将来の選択肢も広げられ、本当に良かったと心から思っている。
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