受験生の母ができる試験に受かるおまじない 合格祈願と縁起物
模擬試験の結果を見て、私は「うーん」と唸った。
ABCDEで判定される合格の可能性の欄にはちょうど真ん中の「C」という文字が少し申し訳無さそうに佇んでいた。
塾講師によると、倍率や例年の傾向などを加味して考えるに「C」は「ギリギリライン」というところらしい。
「大体この”C”で合否が割れますね~。出題される問題や、運、ケアレスミスをするしない、など微妙なところで合否のどっち側にいくか決まってしまうというところですね」
塾講師は少し心配そうに眉をひそめてそう言った。
自分の受験よりも、やきもきしている自分に気付き、何十年前の自身の母親を思い出す。
あの時も、私より母の方がピリピリしていたな、などと思い返して、苦笑のひとつも零したかったが、今は例え苦笑いでも、笑っている場合ではない。
娘の志望校は娘が自分で決めた。
どうしても入りたい部活動があるという事で、決めた当時は学力的にはかなり厳しいと言われ、担任からは「やめた方が良い」と忠告を受けたが、本人の強い意志はテコでも動かせなかった。
心配し、安全パイをとらせたがった学校の担任に対して、塾講師は前向きに応援してくれた。
もちろん職業上負っている責任というものが違うのだろうが、それでも娘の担当の塾講師は娘が合格できるよう勉強のスケジュールを組みなおしてくれたり、分からないところはとことん解説してくれたり、手取り足取りで娘の事を応援してくれたし、娘もそれに応えようと、合格に向けてがむしゃらに頑張っていた。
そんな頑張る娘の姿を見てしまったら、親としてはもう何も言えないだろう。私も主人も娘の受験を応援し、かなり背伸びした志望校への合格に向けて全力でサポートする事に決めた。
それから我が家は一気に「お受験モード」となり、娘は以前までは試験前にこちらが心配してソワソワしてしまうくらいほとんど勉強している姿を見せたことが無かったのに、一変して昼夜参考書や自分で作った教材と向き合って、机に張り付いて勉強するようになった。
頻繁に塾に足を運んで、分からない問題は理解できるまで根気強く質問し、それに答えてくれる塾講師と二人三脚で頑張っていたようだ。
私はといえば、娘に勉強面でサポートしてやれる事は無く、ただひたすらに、勉強しやすい環境作りと、健康面での応援と、それからゲン担ぎや神頼みに徹した。
健康は重大なポイントだ。受験当日に風邪を引くなど言語道断だが、その時でなくても風邪は勉強の妨げとなる。1分1秒を惜しんで勉強に励んでいる娘の邪魔をさせないよう、私は我が家に風邪の菌を持ち込む事を一切禁止した。
娘のみならず、家族全員、手洗いうがい、薄着しないなどを徹底し、生姜入りの紅茶や、栄養価の高い食事を提供する事で免疫力の上昇をはかった。
そしてゲン担ぎや神頼みも忘れなかった。娘は「そんなこと」と笑っていたが、あなどってはならない。受験には運も必要なのだ。「運も実力のうち」という言葉があるように、運がなければ実力が100%発揮できないのだ。
娘は親の私から見ても信じられない頑張りを見せた。
もともと部活人間で、部活動から帰ってくると疲れ果てて眠ってしまい、勉強まで手がまわらなかった節があったので、部活動を引退して受験勉強に専念するようになってから、その学力は目を見張るスピードで上昇していった。
そして志望校を決めた当時は「E」判定という、それは担任が良い顔をしないのも無理ないなという絶望的なスタートラインに立っていたところから、半年弱で「C」ランクにまで上り詰めたのだ。
これには担任も驚いていたようで、「C」だとまだ少し心配だけど、がんばれ、と応援モードに切り替えてくれた。相変わらず塾講師は熱を帯びた指導で、娘をサポートしてくれていた。
それでも「C」はやはり安心できなかった。
親としては「A」か、せめて「B」ランクに入ってもらっていれば安心して受験会場に送り出せるのだが、まだ心許なかった。
それでも頑張る娘の姿に心打たれ、私は「E」から「C」まで踏ん張ってきた娘になんとしても志望校に合格してほしいと強く願うようになった。
もうこうなったら本当に神頼みでも何でも、できる事は全てやろうと心に決めた。
受験勉強もいよいよ佳境に入った年末年始、私は元日に初詣に行くタイミングで、娘を合格祈願に連れていった。
勉学をつかさどる神様がまつられていて、合格祈願の神社として有名なところで、訪れるとちょうど娘と同年代くらいの子どもを連れた親が沢山来ていた。
きっと彼らも同じく神頼みに訪れたのだろう。
絵馬には「合格できますように」とか「志望校に受かりますように」といった祈願が目立った。
娘も同じような願いを書き込んで、しっかりと神様にお願いしてきた。
帰りには合格祈願のお守りも買い、その足で親戚の新年の集まりに向かった。
娘が受験生という事は当然親族の皆も知っている。
合格のお守りをもらったり、不思議な「すべらないうどん」など、いわゆる合格を祈念する縁起物のグッズをもらったり、色々と娘の事を思ってくれていて有り難い限りだった。
娘も嬉しそうにしていたし、受験に向けて気合を入れ直したようだった。
娘のラストスパートを家族をあげて応援し、いよいよ受験当日となった。
知人からも娘を応援するための縁起物の合格祈願グッズをたくさんもらったので「受かったらお礼しないとね」と言いながら、持っていけるものは持たせた。もちろん、元日に合格祈願をした神社で買ったお守りもにぎらせて、送り出した。
娘が帰宅するまで、私はとにかく落ち着かなかった。
主人は仕事に出ていたので、なだめてくれる人もおらず、ひとりで家の中をうろうろしては、神様仏様に「どうか娘を合格させてください」と祈ってみたり、試験会場で頑張っている娘に念を飛ばすべく「がんばれ~」と声に出してエネルギーを送ってみたり、帰ってきたら美味しいものでも食べさせてやろうと、いそいそとキッチンに立っても気もそぞろでなかなか手がつかなかったり、そんな1日を過ごした。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
娘が帰ってきた。
「どうだった?」
私は娘が口を開くよりも早く聞いた。
「うん、バッチリ!」
そう言って娘はニッコリ笑って私に向かって手袋をはめた手でピースを作って見せた。
「とは言っても、なんとも言えないけどね。分からない問題もあったし、ミスしてるかもしれないし、空欄のまま出しちゃったところもあったし・・・」
にわかに表情が曇って、不安そうな声になったが
「でも、実力は出しきれたかな。うん。これでダメならしょうがないかなって感じ。模試よりも手ごたえはあったけど、なんていうか、私が解ける問題はみんなにとっても簡単なんじゃないかな、とか思っちゃうんだよね。でも、そんな事考えてたって何も始まらないし、集中することにした。できなかった問題は置いといて、全教科時間が余ったから見直しもできたよ。あのね、塾でやった問題とか、直前に潰しといたところとか、そういうところが沢山出たの。ラッキーだった!」
とペラペラ喋り始めた。
実力が出し切れたのならば、それが一番だ。
それで本人が満足しているならば、どんな結果になっても納得できるだろう。
合否発表まで1週間。
その間にじたばたしても仕方がない。
今は娘の健闘を称えて、ゆっくり休みを満喫してもらおう。
その晩は娘の好きなハンバーグを作って、家族で食卓を囲んだ。
まだ合格もしていないのに主人がケーキを買ってきて、娘は大笑いしていた。その笑顔には受験勉強から開放された安堵感と、やりきったという充実感が滲み出ていた。
じたばたしても仕方ないとは言うものの、やはり合否の発表の瞬間は緊張するものだ。
私は娘と一緒に娘の受験校へ出かけた。
合格すれば、その場で入学の諸手続きと、教科書の販売や制服の採寸などが行われるため、保護者と一緒に来ている生徒がほとんどだった。
合格者たちの受験番号が張り出された掲示板には子どもたちが群がっているため、保護者は一歩離れたところで見守る。
歓喜の声、落胆の声、喜びの涙、悔しさの涙、そこには既に様々なドラマが生まれていた。
倍率は約1.5倍。
3人に1人は落ちる計算になる。
これを高いとするか低いとするかだが、「A」ランクに入っている受験生からしたら間違いなく上位2/3には食い込むだろうから、低い倍率という感覚になるだろう。「B」ランクも同じかもしれない。
問題は、「C」ランクなのだ。
単純に「A」~「E」の5等分すれば、「C」ランクでも十分合格圏内には入っていそうなものだが、ここで重要になってくるのは、「D」や「E」のランクの者はほとんど受験しないというところなのだ。
記念受験でもない限り、望みの無い学校を受験はしないだろう。だから大体「C」ランクに入っている者からこの学校は志望校となり得るわけだ。
そう考えると、1.5倍という倍率は娘にとってかなり厳しい闘いになる事が予想できた。
その母は不安で心臓が口から飛び出そうになっていた。
神様、どうか・・・と心の中で何度目になるか分からない祈りを飛ばそうとした次の瞬間、娘が人ごみを掻き分けてこちらへ向かってきた。
一目瞭然だった。
結果は、合格。
こちらへやってくる娘の表情が全てを物語っていた。
娘は泣いていた。しかし嬉しくてたまらないという表情が遠目で見ても分かった。
あれは嬉し泣き。娘は合格した。私はとっさにそう確信した。
「受かった!受かったよ!!」
娘は私のところに到着すると、ピョンピョン飛び跳ねながら報告した。
数秒前に「受かったな」と確信していたものの、娘の口から直接合格報告が聞けた瞬間、私はようやく安心し、そして猛烈に嬉しくなり、娘の事が誇らしくなった。
娘は勿論、その実力と努力で合格した。
それは間違いの無い事実だ。
合格発表の後、そのまま必要な手続きを済ませ、娘はその足で塾に報告に行った。
担当の先生はとても喜んでくれた。それから学校へ戻って学校にも報告すると、当初反対していた担任も「よくやったな」と心から喜んでくれたそうだ。
その後、同級生たちの合否状況が次々に明らかになり、娘の高ぶった気持ちが少しだけ落ち込んでしまったらしい。
どうも、娘と同じくらいの学力で同じ学校を受験した同級生が皆不合格になってしまったらしいのだ。
娘は受験当日、帰宅してから「ラッキーだった」と言っていた。
つまり、直前に勉強した箇所が出題されたり、力を入れて学習したところがピックアップされたり、娘の努力が無駄なく発揮できたのだ。
それが、どうも不合格になってしまった同級生たちにとっては「運が悪かった」という結果に終わってしまったようなのだ。
ある者はヤマを張っていたところがことごとく外れ、ある者は普段はしないケアレスミスをし、またある者は問題を勘違いして理解してしまい、試験終了直前になって気付いたという。
このあたりが「C」というライン上にいた受験生たちの合否を左右したようだ。
本当に「運も実力のうち」とは言ったもので、1点2点の差が合否を分ける受験では、この「運」がかなり重要らしい。
もしも、私のゲン担ぎや神頼み、それから親戚や知人からもらった縁起物がその運のパワーを発揮してくれていたとしたら。そう思うと私はあらためて娘に運のパワーを授けてくれた何ものかの力に感謝せずにはいられなかった。
そして娘を連れて元日に訪れた神社へお礼参りに行ってきた。
娘も真剣にお礼の気持ちを伝えたらしく、帰り道で、あらためて「本当に受験の時は、私はラッキーだなって思ったんだよね」と話してくれた。
それから、縁起物で娘の合格祈願をしてくれた親戚や知人ひとりひとりに丁寧にお礼の手紙と小菓子を贈って、娘の受験奮闘は終わりを迎えた。
必死に勉強したおかげで、勉強するクセがついたらしく、また、あともう少しで理解できたのに、という学習箇所が残っていたのを春休みに潰したらしく、娘はかなり背伸びしたと思われた学校でも授業に遅れを取るようなことなくついていけるようだった。
そして念願の部活動に入部し、楽しい新生活を送っているようで、私もそんな生き生きとした娘の姿を見て毎日幸せを感じている。