[本ページはプロモーションが含まれています]
世界はものすごく狭くなった。
急速にインターネットなどが発達して、今や、時差すら感じさせないほど諸外国との距離が近くなっている。
なんでもかんでもワールドワイド、ワールドビジョン、グローバル化、国際化、などの言葉がくっついて、世界を股にかけてナンボ、という世の中なのだ。
その、急速に狭くなった世界では、活発に国と国の間でのやりとりが行われるようになり、そうなってくると当然世界の共通語というものが幅をきかせてくるわけだ。
私が若かったころから、世界共通語は英語だったが、そうはいっても、皆第一外国語として英語を学ぶものの、それはあくまでも必要最低限、申し訳程度のもので、特に島国日本では、英語なんて生涯で使う事などほとんどない言語をなぜ必修で学ばなければならないのだろうと思うくらいだった。
それが、今は英語という言語が、本当の意味で世界共通語になっていた。実際に「共通語」として意味を成してきており、逆に「母語を忘れていく若者たち」というテーマで大学の教授たちが議論を展開していく有様だった。
そのくらい、世の中には英語が浸透し、若い世代の者は当たり前のように英語を話していた。
これだけ英語が当たり前に話される世界となると、企業も当然世界相手に商売を展開していくわけで、日本国内の多くの企業がこぞって海を超えた外国に市場を広げていくような動きをみせた。
その動きの中で必要とされる人材は、もちろん英語ができて当たり前で、かつ国際コミュニケーション能力が求められた。企業は英語力のある若者を次々に採用するようになった。
そしてその「あおり」は我々厄介者世代が受けることになる。
我々の世代は、英語がろくに話せない者も多く、しかも英語に苦手意識をもっている者が多い世代だ。
今更勉強しようという気にもなれずに、自分達には自分達にできる仕事をやれば良いというスタンスで仕事に取り組んできた。
しかし企業側とて、無限に人件費を払えるわけではないのだ。
欲しい人材を獲得し、不要な人材は切り捨てる、それが厳しい企業の現実だろう。
我々世代の、英語も使えずに歳だけ取ってしまった厄介者たちは、次々に会社から制裁を受けることになった。
ニュースに取り上げられ社会現象と騒がれるほどにもなった大規模なリストラや左遷騒動が巷を賑わせた。
また、人材云々以前の問題で、そもそも英語対応や国際化が間に合わなかったばかりに会社ごとつぶれてしまうというケースも、この頃大きな話題となっていた。
時代に付いていけないものは、人だろうと企業だろうと、蹴落とされる時代となってしまったのだ。
ダーウィンは言った。「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」と。
まさにこの言葉がピッタリと当てはまるようだな、と私は他人事のように時代の動き、うねりを眺めていた。
頑なに英語やらグローバル化やらに踊らされず、閉じた世界で伝統を守り続ける伝統工芸の職人と、伝統は守りながらも新しい商戦や、外国人のニーズに合わせた新商品をハイブリッドで開発していく若手職人を抱え、その意見も積極的に取り入れるような職人と、どちらが生き残り、結果的に伝統を後世へ伝えていく事ができるか、それは今の段階では誰にも予想できない事だったが、もし前者が後継の者を見つけられず、世界にもその名を知られることなく、当該の職人の代で終わってしまったとしたら、変化してでも世界に広げて受け継ぐ者を育てた後者の方が、結果的には長く息が続いたという事になろう。
実に興味深いな、と思ったが、先ほどから他人事のように事態を俯瞰している私にも、おちおち悠長な事は言っていられない現実が突きつけられた。
私が勤める会社にもグローバル化の風が吹き込んできたのだ。
次の新卒の採用からは、英語力も能力判断材料として会社側に提示するという通達があったのだ。
それに伴い、我々社員の中でも英語能力検定試験を希望者が受け、一定以上のスコアを取得できれば昇給対象となるという通達も出た。
色めきたつ社員もいれば、ため息をつく社員もいたが、このぐらいの事ならば、大した事ではないだろう。
問題は、なぜこんなに急に英語に力を入れ始めたか、というところだった。
なんでも、海外にも拠点を置き、日本よりも安い労働力を得てわが社の商品を生産し、さらに、作った商品を別の外国市場に売り出していくという、抜本的なグローバル化を推し進めるという会社の方針が決まったというのだ。
これに危機感を覚えたのは私だけではないはずだ。
わが社の経営方針が大きく変わってしまった。
そうなると、必要な人材や社風も大きく変わってくるだろう。
それについていける自信は正直ほぼ全く無かった。
そもそも会社内で自分は生き残っていけるのだろうかという不安が、むくむくと膨れ上がってきた。
巷を騒がせている「英語力が無いためにリストラされた」というニュースが、急に現実味を帯びてきた。自分だって同じ目に合うかもしれないのだ。
何もせずにぬくぬくとしていて、ある日突然「キミ、リストラだから」と冷たく言い放たれ、無職となって世間に放り出されるのはまっぴらごめんだった。
では何をすれば良いのか。
選択肢は2つだ。英語力を必要としない会社に転職するか、英語を必死に勉強するか、だ。
私はそもそも英語があまり好きではなかったので、できることなら避けて生きたかった。
では転職すれば良いのだろうか。しかし、連日話題に上るのは、英語ができないと苦労するというニュースばかりで、きっと今更転職するにも、どこに行っても英語力を問われる事はほぼ間違いなかった。
本気で英会話マスターしたいなら hiro式・オンライン英会話スクール~自宅留学のすすめ~
試しに、一縷の希望をもって、転職サイトで少しだけ自分のやりたい仕事や、今までやってきた仕事で培った能力が活かせそうな仕事を探してみたが、案の定「求む!英語できる人!」や「英語能力が高い方は優遇」など、どこもかしこも英語のできる人材を求めているようだった。
もちろん、英語ができなくても大丈夫という求人もあったが、就労条件は決して良くなく、それならば今の職場に勤め続けたほうがよほど良いというものしかなかった。
条件が良いところに就職したいと思ったら、もはや英語ができなければお話にならないという事なのだろう。
今いる職場は決して嫌いではなかったし、仕事もおもしろく、英語の重圧さえなければ、ずっと勤め続けたいと思っていたので、「英語」という観点で転職できないとなると、他に転職する理由もなく、そうなってくると、私に残された選択肢はただ一つ、英語を必死に勉強するのみ、という事になる。
本当はやりたくないが、いたしかたない、これは避けては通れない試練だ。
今始めないでいつかリストラされる日が来るかもしれないと考えて生きていくよりは、さっさと先手を打って不安要素を排除しておく方が気持ちの面でも安定しそうだった。
そういうわけで、私は、ようやく思い腰を上げて英語の勉強を始める決心をしたのだった。
それにしても、どうしたものか、こんな歳になって英語の勉強というか、そもそも勉強というものをすることになろうとは夢にも思っていなかったので、途方に暮れてしまった。
私は、同僚の何人かにも声をかけて「英語、やっておかないと後々しんどくなってくるぞ」と、一緒に英語の勉強をしてくれる仲間を募ったのだが、「そんな余裕はない」とか「忙しくて時間がとれない」など、それぞれの事情により、全員からふられてしまった。
後からどんな目を見ても知らないぞ、と内心思いながらも、たった一人で英語の勉強をしなければならなくなってしまった私は不安でいっぱいだった。
まず、とにもかくにも実力を知らないといけないだろうと思い、色々調べて、自宅でもインターネット受験ができる英語能力判定テストを受けてみることにした。
結果は、惨憺たるものだった、とまではいかないが、決して満足できるものではなかった。
おそらく大学受験期の方が高いスコアをマークできたろう。
やはり人は、やらなくなると能力が落ちるもんだなぁと思い、巻き返しを誓った。
実力が分かっただけで、選べる教材が大分搾られてくることが分かった。
働いていて、なかなか時間が取れなかったこと、それから、英会話教室に通うと費用がかなりかかってしまうこと、これら2つの理由から、私はまずはとにかく独学で、忘れてしまった英単語を覚えなおし、せめて大学受験までのレベルまで自分の力を引き上げることを図った。
教材を買ってきて自分で勉強すれば、自分のペースで進められるし、お金もそれほどかからない。
しかし、始めてみて、早速私は壁にぶつかった。
モチベーションの維持だ。
教室に通うのと違い、切磋琢磨できる仲間がおらず、監視してくれる先生もいないため、サボろうと思えばいくらでもサボれる。
他に競い合ってくれる同僚でもいれば話は変わってきたのかもしれないが、そんな同僚もおらず、英語の単語を覚えるという味気ない地味な勉強をいつまで続けることができるか、にわかに不安になった。
そこで、私は強制的に「やらなければならない理由」を作ることにした。
それがインターネットの実力判定試験だ。それほど高くない金額で受験できるので、定期的に自分の実力をチェックするにはもってこいだった。
私は3ヵ月に1回ほどのペースでこの試験を予定し、それに向けてひたすら単語を覚えてボキャブラリーを増やした。
目標ができるとモチベーションははるかに維持しやすくなり、私は移動中や休憩中にも必死に英語を覚えるようになった。その姿は会社の中でもちょっとした名物になるくらいだった。
本気で英会話マスターしたいなら hiro式・オンライン英会話スクール~自宅留学のすすめ~
ボキャブラリーが増えると、実力判定試験のスコアも上がった。
しかしそれは最初の2回だけだった。予想外に早く、この作戦が頭打ちになったのだ。
そこで気が付いた。私が弱いのは、イディオムなんだという事に。単語は全て知っていてもまるで意味が分からない文章が多数見受けられたのだが、それは慣用句、つまりイディオムで、これを知らないがために長文読解などでとんちんかんな理解しかできないという事がよくあった。
そこで私は覚えるべきものを英単語からイディオムにシフトして、学習を続けた。
すると、またスコアが伸び始めた。
そうこうしているうちに、実力テストではかなりのレベルに達しているという事が分かってきた。
ただ、なんとなく「井の中の蛙」のような感覚が否めず、私はいよいよ満を持して外に出るようになった。コミュニケーションだ。
英語でコミュニケーションを取る事ができる場を求めて、僕は国際交流や海外がらみのイベントに顔を出すようになった。教室に行くよりもずっと安上がりで、しかも様々な国の人が来ているので、いわゆるクセの強い英語もバンバン飛び交っていた。
ビジネスで相手をするのは、東南アジア系の方々が多かったので、ある意味で有り難かった。正統派の英語というよりも、我流の英語で、通じればOKというスタンスの方が現実的だった。また、そのような英語が飛び交っている環境では、自分も、自分の英語の発音をあまり気にせずに積極的に会話に入っていくことができたので、そこも良かったところだ。
自分で言うのも恥ずかしいが、私はかなり英語力を上げた。
会社のいう指定のスコアも楽々クリアして、昇給の対象となった。そして、会社内でも必死に英語の勉強をしている姿が上司に認められて、昇進することもできた。
反対に、かわいそうなことに、あの時私の誘いを断って英語の勉強をしなかった同僚のうち2人が「英語ができないばかりに」会社から冷遇される事になってしまった。
1人は左遷、もう1人は、これは単に英語ができなかったからというだけでなく他にも少々問題があったとは聞きかじっていたが、リストラ、つまりクビになってしまった。
また、会社内では次々に新たな英語に関する規定ができて、英語ができた方が圧倒的に社内では有利な立場となるような仕組になっていった。
流石に同僚達も焦って英語の学習を始めたようだったが、スタートダッシュが遅かったので色々と苦労していたようだ。
脳年齢が上がれば記憶力も落ちるし、そういう意味でもなるべく若いうちにスタートしておいたほうが良いんだな、と改めて実感した。そういう意味で、まだ40代前半だった私は恵まれていた。
おかげさまで、無事昇進できたため、家族を養えるようになり、婚活して出会った女性と結婚し、今は子宝にも恵まれて幸せな日々を過ごしている。わが子にも苦労させないよう、英語の勉強は早いうちから始めるつもりだ。