英語と出世。社内での生き残りをかけた社会人から英語の勉強

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パソコンスキルを自慢できた時代はいつの話だったろうか。

まさか当時は、その十数年後にはほとんどの人がパソコンの基本操作ぐらいできるのが当たり前となっていると、想像できたろうか。

今やほとんどの仕事でパソコンを使っている。

いや、仕事だけでない。学校でも、だ。大学生のレポートはメールやネットツールを使って提出されるようになったし、高校生の大学受験勉強だってパソコンを使っておこなっている生徒が急増してきている。
そのくらいパソコン、そしてパソコンスキルはあっという間に我々の中に浸透していった。

そして今、英語においても同じような現象がおこっている。

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英語スキルを自慢できる時代は、きっともうすぐ終わりを迎えるだろう。

これからは、英語なんてできて当たり前、できないのは恥ずかしいという勢いで、英語は日本社会に浸透していくだろう。

実際、日本の企業でも、グローバル化を意識して、社内での公用語を英語と定めている企業も出ている。
インターナショナルスクールには、外国人の子どもたちだけでなく日本人の子どもも多く通うようになったし、それにともなってインターナショナルプリスクールも次々に建てられている。

このままいけば、あっという間に日本人だろうと何だろうと「英語なんてできてあたりまえ」という世の中になるだろう。英語ができないのは恥ずかしいことになり、ろくな仕事もさせてもらえないなどという事態にだってなりかねない。

日本国政府はこの状況を察知して、小学校に英語の授業を設けるようになり、中学、高校では更に進んだ英語学習を推奨し、次世代の若者たちは英語が普通に使えるようになって成長し、社会に出るだろう。

そうなってくると、まだ学生だった頃には英語がそれほどポピュラーでなかった我々世代は、ピンチに陥る。若者たちの方がはるかに能力が高く、こんな英語もできない老いぼれたちは、その立場を追われることになるだろう。

ある程度のところまで上り詰めてしまっていれば、英語ができるという能力だけではカバーできない力と地位があり、そう簡単には若者たちにその座を奪われることはないだろうが、ちょうど僕ほどの年齢の、まさにこれから出世したい、これから上り詰めていきたい、と思っている世代にとっては脅威以外の何ものでもない。

これは、パソコンスキルが既に実証してくれている。

今の子どもたちは、なんと小学生でもプログラミングを経験した子がいるらしい。

幼い頃からパソコンに慣れ親しんで育ってきた子どもたちに、大人になってから四苦八苦しながらパソコンの勉強をした大人は、到底かなわない。

だから、たとえば専門学校で2年ばかりパソコンスキルを学んできた、しかし業界では未経験という、30代そこそこの新人を中途採用でとるよりも、20代前半で、プログラミングでもWebデザインでも何でもやってきてますよーという若者をとった方が、会社としてはずっとメリットがあるわけだ。

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この先は英語において、同じ現象が起こると、私は予見している。

「最近の子たちはすごいわ。私たちの頃なんて英検2級もってれば素晴らしい!って言われてたのに、今やTOEICで800点以上とってないと歯牙にもかけてくれないもんねぇ」

職場でそんな話をちらっと耳にして、その予兆を感じ取ったのだ。

英検2級は、TOEICでいうと、500~650点程度の能力らしい。
となると、800点というのはかなりの高得点だ。

どうやら最近の若者たちの間では600点台は恥ずかしくて履歴書に書けないのだという。

そんな時代になってしまったのか!とショックを受けた。

そんな私のTOEICのスコアは547点だ。

自分ではまずまずじゃないか、と思っていたし、英検2級ギリギリ合格ラインぐらいには入っているから、悪くないと自負していたが、これでは「恥ずかしい」らしい。

そんな職場の世間話は、それでも「すごい世の中になっているんだなぁ」程度の感情で聞き流し、どこか他人事のような気分だった。
それが、そうも言っていられなくなるようなちょっとした事件が起きた。

うちの会社の求人情報の条件の欄に、英語能力についての言及が追加されたのだ。

その基準を見て愕然とした。

最低でも求められる能力はTOEICで600点、730点以上は大歓迎で、さらに850点以上の者は優遇した条件を提示する、とあった。

これは新卒も、中途も同じだった。

確かにここ数年、うちの会社もグローバル化が進んでおり、英語を耳にする事が多くなってきてはいた。
私の所属部署は直接関わる機会があまりなかったが、外国の方が増えてきているなぁという実感はなんとなくあった。

その影響だろうか、それとも、ここに来て何か海外で一発当てに行くようなプロジェクトでも立ち上がったのだろうか、とにかく、私は最低でも求められる能力である600点に、TOEICの自分のスコアが到達していないのを知り、とてもショックを受けた。

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うわさによると、昇進試験や、昇給の条件などにも英語が絡んでくるようになるらしい。
これでは自分の英語能力の低さがばれて、昇進どころの騒ぎではなくなる。

もちろん在職の社員たちに英語の一斉試験を課して、TOEIC600点に達しないものはクビ、などという外道なおふれは流石に発令されず、中には僕と同じく「自分にはそんな英語力はない・・・」と絶望している社員も複数いたが、私含めみんながクビになったりする心配はなさそうだった。

しかしこのまま安穏としているわけにはいかない。

今、会社が社員たちに求めているのは英語力なのだ。このニーズに応えられないものは、出世戦線から次々脱落していくだろう。

昇進はおろか昇給も望めなくなるとしたら、結婚だってできやしない。
私は年齢的にもそろそろ奥さんが欲しくなるくらいの、いわゆる結婚適齢期で、しかし不幸にも彼女がいなかったため、そろそろ婚活でも始めようかと思っていたところだった。

このまま順当に勤めていけば、妻と子ども1人くらいは自分だけで養っていけるだろうという算段だった。
しかし、事情が変わってしまった。昇給が見込めないとなると、将来は絶望的だった。

このままでは、とても幸せな未来が想像できない!

そんな危機感を覚えて、私は「いっそ転職してしまえば、こんな辛い目には合わなくて済むかもしれない」と思い、少しだけ転職活動などに手を出してみようかとも思った。

しかし、求人情報に溢れていたのは、「英語のできる人、大募集」というようなものばかりで、もちろん英語ができなくても応募できる仕事も沢山あったが、就労条件はそれほど魅力的ではなかった。

英語ができるという事が、これだけアドバンテージになるのかと思い知り、結局のところ、転職するよりは今の会社に勤め続けた方が安泰だという結論となった。
しかし、英語問題が残っている。

もう、こうなったら、英語の勉強をやるしかない。
そう、腹をくくった。

他に選択肢はないのだ。
どんどんグローバル化していくこの社会、この世界で、会社が求める人材は英語ができる人間なのだ。
それを受け入れてしまったほうが早い。

諦めて、英語のできる人間になるよう必死に努力した方が早い。
そう気が付いた。

しかし、そうは言ってもなかなか上がらなかった重い腰を、どうにか鼓舞して上げて、英語の勉強を始める事にした。

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英語の勉強のやり方もよく分からないし、自分がどうなりたいのかという目標もよく分からなかった。
それでも、どうにかしなくては、という思いだけが私を突き動かした。

とりあえず、何をどうしたら良いか分からず、ひとまず私は会社が指標にしているTOEICの点数を伸ばすことを目標に定めた。
そうしただけで幾分か心が安定した。

人は、何のために、という行動目的ができると、それに向けて行動しやすくなるし、ヤル気も出るものだ。

TOEICは割と分かりやすく、目標スコアを定める事で、より細かく目標を明確化できる。

私は、最低限の600点突破はもちろん、ひとまずは「歓迎」される730点を目標にがんばろうと思った。
たしか、まだうわさレベルだが、昇給の時にカギになってくるボーダーラインが700点ぐらいだと聞いたこともあり、この目標に設定した。

そして、書店でTOEICのための参考書を買い、独学で勉強を始めた。

目標スコア別に様々な参考書が出ていた。
いきなり目標の730点用の参考書を買ってやってみたのだが、思うようにできない自分を突きつけられて、完全にモチベーションが下がってしまった。

できない、という事がこんなにもヤル気をそぐものか。
仕方がないので、600点まで目標を落として、まずは500点台の基本的なレベルの問題に取り組んだ。

ある程度はできるし、できなかった問題は解説を読めば理解できるし、解けなかった悔しさも残ったので、モチベーションとしては良い結果となった。
その前は解けない悔しさすら感じられないくらい撃沈していたので、やはり「届きそうで届かない」レベルからスタートするのが良いらしい。

自分に合ったレベルの問題を解いていく上で、なぜ730点向けの問題であんなに撃沈したのかという事が徐々に明らかになってきた。
語彙だ。圧倒的なボキャブラリーの差が、そこにはあった。

要するに、見たことも聞いたこともない語句が羅列してあったので、文章のニュアンスすら捉えることができず、そのちんぷんかんぷんな様が余計に問題への関心を奪い、惨憺たる結果となってしまったようなのだ。

という事は、ひとまずはボキャブラリーを増やせば良いという結論が導き出された。

私はそれから、必死に、コツコツと、ボキャブラリーを増やした。
とても時間がかかった。
なぜこの努力を学生の頃にしなかったのだろう、と心から悔やんだ。

学生時代は自由な時間が沢山あったはずだ。
しかしサークルやアルバイトに明け暮れて、ろくすっぽ勉強をしてこなかった。
それが、猛烈に悔やまれた。

今僕は会社に勤めている。
日中は仕事をしなければならない。
夜だって残業があるので自分の時間はなかなか確保できない。

そうなってくると、ヤル気だけはどんなにあっても、物理的に英語の勉強に割ける時間が少なくなる。

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英語の勉強には時間がかかる。
コツコツと、ひとつずつ、単語や熟語を覚えなければならないからだ。

思うように時間が取れないという事は、思うように学習が進められないという事で、それはともするとストレスにすらなった。

自分の時間を有効に使いながら、工夫して英語の学習を進めた。

電車の中などの移動中にも、SNSをボーっとチェックする事をやめ、単語を1つでも覚えるために暗記し、家に帰ればまず英語のニュース番組をつけてリスニング対策をおこない、食事は簡単に済ませてすぐに英語の勉強に取り組んだ。

英語というか、語学の勉強は、始めるなら早い方が良い。

このように時間がかかるから、というのも理由のひとつだが、覚える分野の勉強のため、脳の老化が物を言う。
年齢とともにどんどん記憶能力が低下していくのが、人間の常であるからして、少しでも若いうちに語学学習を始めた方が、絶対に脳にとっては良いのだ。

だから、私は声を大にして、英語学習はなるべく早い段階で始めた方が良いと勧告したい。

私自身、四苦八苦しながら学習を進めたが、これがあと10年遅かったらこうはいかないだろうなという自覚もあり、今のうちに、と頑張った。

そして私は、TOEICよりも安価で、しかも自宅のパソコンでレベル判定テストができるようなサービスを利用して、実力試しをしてみた。
すると、その結果によれば、私の英語力はTOEICで言うところの680点相当のところまで伸びたという。

目標の730点まではまだ少し遠いが、確実に力がついてきたという実感が、モチベーションを上げた。

それからも一生懸命勉強を続けて、満を持してTOEICを受けることになった。

今までで一番と言っても過言でないくらい緊張したが、実力は出し切れたと思った。

結果が届いて見てみたら、722点で、あと一歩730点には到達できなかった。

しかし、この結果を会社の上司がとても喜んでくれた。

「よく頑張ったな」と大の大人が大の大人に褒められて、気恥ずかしくもとても嬉しかった。

私が英語の勉強と格闘している間に、会社では正式に、昇給のための条件として、TOEICで680点以上をマークすること、というものが掲げられていたので、私はこの基準は見事クリアできたという事になる。
あとは、勤続年数や、勤務態度、実績などが加味されて、その年の昇給額が確定するのだが、今までで一番の伸び率を見せてくれた。

頑張ってよかったと思ったし、これで、昇進、出世への道が少しだけ開けたような気がして、私はますます英語の勉強を頑張ろうと心に誓った。

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