対人ストレスの少ない仕事への転職 コミュ障女性が社内の人間関係に疲れたら一案

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コミュ障と聞くとすごく嫌な気分になる。
コミュニケーション障害、よく冗談などで「俺、コミュ障だから」とか「あいつほんとコミュ障」とか、そのように使われるが、そんな簡単に使わないでほしい。

私はコミュニケーション障害なのか、自分が悪いのか、コミュニケーション能力が無いのか、低いのか、私だけ変なのか、と散々悩んできた。
実際、そのように罵られたり揶揄されたりしてきたのだ。

空気が読めないとか、人の気持が分からないとか、そんな事を言われ続け、あげく「コミュ障」というレッテルを貼られ、追い出されるように仕事を辞めた。

気付けば、ものすごく大きい対人ストレスを感じるようになっていた。

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人が怖いと思った。誰とも関わらず、自分だけの世界で生きたいと思ってしまった。

以前勤めていた会社は、印刷系の会社で、私の職種は事務職だった。
新卒で勤めた会社を6年で退職し、転職したところが、その会社だった。

転職のきっかけは給料などの待遇面だった。大学院まで出たため24歳で社会人デビューしたわけだが、6年働き30歳になって、結婚できないかもしれないと思うようになった。

結婚願望は人並みにあったはずだったが、社会人になると出会いが無くなるという噂の通り、本当に合コンか婚活か見合いでもしない限り、出会いは無かった。

そして私はそういった合コンや婚活、見合いには一切興味を持てなかった。無理やり相手探しをするよりは、一生独り身でいた方が良いや、と思うようになっていた。

しかし、独りで生きていくためには、最初に勤めた会社は給料が低すぎた。
入社した時「いずれ結婚して出産して辞めるだろう」と思っていた自分が愚かだった。

悪い会社ではなかったが、独りの力で生き抜くために、転職する事にした。
そして問題の会社に入ったわけだ。

最初は良かった。待遇も前の会社とは比べ物にならないくらい良くなり、仕事のやりがいも感じた。同僚や上司にも恵まれ、充実した毎日を送っていた。

ただ、完全に「結婚」という2文字は私の頭から消えて無くなった。

周りの同世代の女性社員たちは、結婚し、出産し、退職したり休職したり、あるいは在宅勤務となったり、色々と働き方を変えていった。

私のような独身はいつまでもフルタイム勤務で会社に居座るようになり、じきに後輩たちが増え、中には転職する者もあり、10年も経つ頃には一緒に働くメンバーがガラリと変わっていた。

この頃からだろうか、私が対人ストレスに悩むようになってきたのは。

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「お局」という言葉はもはや死語になっているものと思っていたが、それでもわざと死語を死語として使い、私の事を揶揄するような若手社員がいるらしいというのを小耳に挟んだ。

また、上司たちも、私の物言いなどを煙たがっているようで「会社に長くいるだけの偉そうな独身女」という扱いをされているらしいと、これまた風の噂で聞いた。

中には「結婚しないの?できないだけか~」とセクハラまがいの質問をされる事もあった。

反面、会社の中ではそれなりの立場まで昇進していたため、きっちりと後輩や部下の指導をしなければならず、そのプレッシャーもストレスになっていた。

私が厳しく指導すれば、かならず反発の声が上がる。どう頑張っても「口うるさいおばさん」と捉えられてしまうのが、私には耐えがたかった。

また、立場が上がれば、顧客からのクレームの矢面に立つ機会も増える。
部下たちの尻ぬぐいをせざるを得ないような時には「私のミスじゃないのに」と思いながらもクレームに耐えてひたすら頭を下げるという事がしばしばあった。

こういった小さな対人ストレスが積もり積もって大きく膨れていった。

歳のせいというのもあり、イライラしがちだったりしたが、そういう私を見ると決まって「更年期障害なんじゃないの?」とにやけ顔で余計なひと言を挟んでくる社員が誰かしら必ずいた。

私は対人ストレスの少ない仕事の会社に転職しようかと考えるようになった。
しかし、40過ぎの事務のおばさんを、今更雇ってくれるような企業があるだろうか。

アルバイトやパートは嫌だった。第一、私は独り身で、アルバイトやパートなんかでは生きていけない。我儘でもなんでもなく、私にはある程度の収入が必要だった。

そして我慢に我慢を重ねて、私はいよいよ会社の中での自分というキャラクターをこじらせはじめた。

自覚があまりなかったが、私に浴びせかけられた言葉は「空気が読めない」とか「コミュ障」とか、そういった心無いものだった。

もうこれ以上は耐えられないと思い、私は退職した。

そして引きこもった。

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しばらくは人間と会いたくなかった。
会話もしたくなかった。

独りきり、自分の城に閉じこもって、ただただ時が過ぎるのを待っていた。

年老いた両親や離れて暮らす弟一家には何も言わなかった。
私は今でもバリバリとキャリアウーマンとして働いていると、そう思わせておけば良いと思った。

誰にも構ってほしくなく、友人にも退職した事は言わなかった。
自分のみじめな姿を見られたくなかっただけかもしれない。

それでも良い、と思った。
情けないけれど、ここまできてやはり見栄を張っている自分を認めざるを得なかった。

しばらくの間は、貯金を切り崩して生活していた。
配偶者もおらず、当然子どももいない私には、貯金が沢山あった。
向こう数年間は働かなくても食べていけるだけの余裕はあったのだ。

しかし、私だってバカではない。
貯金は有限だ。収入が無い限りは、出ていくだけで、いずれ底をつく。
そしてその時は、私の一生が終わるであろうその時よりも遥かに早くやってくるという計算だった。

という事は、独り身でいる限りは働きに出て稼がなくてはならない。
収入を得なければならない。
できれば、黒字になるように、収支のバランスを整えなくてはならない。

頭では分かっていたが、心の方がついてこなかった。
原因は「対人への恐怖」だと分かっていた。

人間不信に陥り、人と関わりたくないと思い、人と接する事がとてつもなく面倒で、億劫で、恐れるべき事である、と思い込むようになってしまったのだ。

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精神科へ行こうかと真剣に悩むぐらい事は深刻で、この関門をクリアしなければ私はまともに働けないような気さえした。

しかし病院へ行くにしても金がかかる。

何はともあれ、働かねば。
働かざる者食うべからず、なのだ。

社内の人間関係に疲れ、コミュ障になった自分には対人ストレスの無い仕事があるのが一番だった。

しかし、どこの職場でも、どんな仕事でも、人と関わる事は避けられない。
だから、できるだけ対人ストレスの少ない仕事を探してみようと思った。

対人ストレスの少ない仕事とは、どのようなものだろうか。

まず、接客業はダメだ。
常時不特定多数の客とコミュニケーションを取られなければならない仕事であり、これは私のクレーマー対応を思い出させるので、論外だった。

キャリアのある事務職もダメだった。
事務という仕事は、言うなれば会社の中の様々な事務処理を担っているため、社員たちとのコミュニケーションが欠かせない。

では、無言で黙々と作業をするような、そのような仕事が良いのかもしれない、と思った。

無言で黙々と作業するとなると、身近なところで思いつくのは清掃員の仕事だったが、これはどの求人を見てもパートの仕事で、しかも1日のうちの短い特定の時間帯しか働けない募集が多かったため、私のようなバリバリ働かないとならない人間には向かない。
扶養家族の枠を超えないように働きたい主婦向けだろう。

他に無言で黙々と作業するような仕事は、ベルトコンベアーと一緒に仕事をするような工場などでの仕事になるかな、と思った。

工場勤務の仕事の待遇や給料などが全く分からなかった私は、色々と調べてみる事にした。

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驚いた。
私が思っていたよりも遥かに沢山の求人情報が溢れていたのだ。

職種も、仕事内容も、勤務形態も、雇用形態も、実に様々だった。
ピッキングや梱包などの単純作業で時給1,000円程度でパートで働けるという気軽なものから、フォークリフトを扱うような専門性の高いものまで、色々な求人が出ていた。

印象としては、意外と「女性歓迎」とか「40代の初心者の方歓迎」という文字が多かったのが驚きだった。

40代初心者の女性でも、歓迎してくれるんだ…そう思うと、私の心に少しだけ希望が湧いたような気がした。
とても多くの求人情報が見つかったので、地域と待遇で絞り込んでみた。

私の希望は月収30万円以上だったが、さすがにそれは無いだろうと思い、半信半疑で絞り込んでみたところ、何件かヒットしたのでびっくりした。

工場での仕事ってこんなに稼げるもんなの!?と思いながら詳細を見ると、そうは言ってもやはり、フォークリフトを扱える人であったり、専門的な知識や技術がある人であったり、そういった「できる」人の募集が多く、少し気落ちしてしまった。

ただ、中には確かに「40代」でもOKで、「初心者」も歓迎し、「月収32万円」という信じられないような募集案件もあった。

普通免許を持っている事が条件だったが、独身女性でどこへ行くにも自分でタイヤを転がしてきた私には何の問題もなかった。

怪しい求人じゃないだろうかと良く読んでみると、大手企業が抱えている工場だという事が分かった。なるほど、それで好待遇なのか、と納得した。
正社員での募集だったため、福利厚生も大手企業と同じようなレベルのものが受けられる。

こんな上手い話は正直無いだろうと思った。
もしかしたらとんでもない倍率かもしれないが、とにもかくにも受けるだけ受けてみようと思い、さっそくエントリーする事にした。

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一応キャリアはそれなりに積んできたという自負があった。
きちんと働ける自身もあった。
ただ、対人ストレスだけがネックだった。

前の会社を辞めた理由、どうしてここで働きたいと思ったかという理由、この2つはとても密接に関連付いていたため、包み隠さず本当の事を話した。

もちろん「人と関わりたくなくて、そういった仕事を探してまして」などとは言わず、上手く面接官を納得させられるような言い方でアピールした。

前の会社でいかにひどい対人ストレスを感じていたかという事、そしてそれがトラウマとなり、今は正直、人と沢山関わる事から少しだけ距離を置きたいと思っている事、ただ、今まで事務職という仕事で人と人の間に立ち頑張ってきたという事、思いのたけをぶつけてきた。

面接中に、すでに「うん、だったらウチで働いてもらうというのは、あなたにとっても働きやすい環境となるかもしれないね」と言っていただき、私は可能性を感じた。

そして、面接のあった翌日、早速担当者から採用の連絡が入った。

こんなにすんなり決まってしまって大丈夫かと思う気持ちと、ラッキーだったと喜ぶ気持ちと、新しい職場でちゃんと働けるかという不安と、何よりも対人ストレス面でどうかな、という恐れと、色々な感情が入り混じった不思議な気分だった。

早速来週から来てほしいとの事で、私は翌週から工場に入って働く事となった。

仕事内容は、検品が中心だったが、同時に今まで私がずっとやってきた事務的な作業も仕事のひとつだった。

誰とも関わらずに働くという事は勿論なく、現場には3、4名ほどの職員がいて、私はその中の1人について仕事を教わる事になった。
親しみやすそうな優しい雰囲気の、ひとまわりくらい年上の女性で、丁寧に作業内容を教えてくれた。

検品作業そのものは、言うなれば「単純作業」だったため、機械的にチェックをしてリストに印をつけていくようなものだったが、チェックしていく中で「これはどうなんだろう…」と判断に迷うものが出てきた。

対人にストレスを感じている私ではあったが、幸いにも私が困っている様子や、迷っている様子を見せると、レクチャー担当になった方がすぐにフォローしてくれた。
そして「分からない事は私たちが作業していても気軽に声をかけてね」と言ってくださった。

この一言はとてもありがたかったし、新人にありがちな「聞きたいけれど聞けない」という事態には陥らずに仕事をマスターできそうだった。

事務作業の方に関しては、レクチャー担当の方は「これが面倒で厄介なのよ」と言っていたが、もともとパソコンを使い事務の仕事をしていた私にとっては、慣れない検品作業よりもすんなりと頭に入ってきた。

エクセルを使用して検品結果などを集計するのだが、これがなかなか難しいらしい。
確かに何の予備知識や経験もない人にとってみれば、かなり厄介な作業には違いなかった。

もしかしたら私の事務の経験が買われて採用に至ったのかな、と思うと、月給にも納得いったし、ストレスまみれの辛い職場だったが、あの会社で細々と仕事を続けてきた事も少しは役だったのかな、と思えた。

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職員はそれぞれ黙々と作業に没頭しており、私へのレクチャーの話声や私が何か質問したりする以外は私語も何もない静かな時間が流れていた。
お昼休みも時間をずらして取るため、本当にほとんど人と関わらず、対人ストレスの少ない環境だった。

それでも、朝出勤すればきちんと挨拶し、分からない事があればすぐに質問できるような空気で、仕事が終わればお疲れ様と言い合い、時折他愛もない世間話を交わすような、そんな「つかず離れず」の人間関係が既にできあがっており、私はその中にスッと溶け込むことができた。

無駄話をせず、しかし決して不愛想でもなく、大人としての常識はわきまえた上で、自分の仕事を黙々とこなす、そんな環境がとても心地よかった。

こんなに心穏やかに働ける環境があったのか、と静かに驚きながら、ここならば長く続けていけるだろうな、と思った。

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