40代女性 引き籠もりから仕事での社会復帰の仕方~ショートストーリー

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「これだったらあんたでもできるんじゃないかと思って、余計なお世話かもしれないんだけど・・・」

そういって差し出されたチラシを見ると、求人広告だった。

私は、暗い気持ちでそのチラシを一瞥して、しかし折角差し出してくれた友人に申し訳ないという思いもあったので、一応受け取るだけ受け取って、ぼそりとくぐもった声で「ありがと」と返した。

もう、世の中との繋がりを断ってどれくらいになるだろうか。
大学を卒業して就職した会社では販売員の仕事をしていたが、厄介なクレーマー客に当たってしまい、嫌がらせのように何度も文句を言いに来て、すっかり参ってしまった。

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何が辛かったかというと、その客よりも何よりも、会社の誰も、私の事を助けてくれなかったことだ。そればかりか、クレーマーのターゲットになった私に、同期たちは自分のミスをなすりつける事を覚えてしまった。

私は「できない奴」というレッテルを貼られ、現場での仕事ぶりをロクに見たこともないような上司は、完全に私の事を「使えない新人」と認識していた。

いじめ、と明白に分かるような事態にはなっていなかったが、社内での私の立場はとても弱く、自信も無くなり、どんどん縮こまっていった。

意見を言う事もできず、間違った事を言われても反論する事もできず、例のクレーマーはしつこく何度も来店し、その度に「私が全て悪い」という空気になるのが耐えられなかった。

私は完全に人間不信となり、逃げるように会社を辞めた。

会社側が悪いという決定的な証拠は何も無かったし、そもそも会社が悪いという事そのものが物理的には何も無かったので、私は自己都合で退職という扱いになり、会社からは「弱い新人」という目を向けられて、みじめな気持ちで会社を去った。

それでも、まだ若さというものが残っていた私は、意気込んで次の就職先を探した。

しかし、何のスキルも無いような私を欲してくれる企業など無かった。
まして正社員を希望していた私に、そんなうまい話があるわけがなかった。

就職活動が上手くいかず、精神疾患を患ってしまい、自律神経が乱れがちとなった。
そんな私にできる仕事は、アルバイトだけだった。

世間的には、20代のフリーターやアルバイターはさほど珍しくなく、人手のほしい飲食店は面接に行けば、割とすぐに採用してくれた。

それでも私は前職のトラウマを拭いきれずに「嫌なクレーマー」とぶち当たるたびに過呼吸となり、折角見つけたアルバイト先もあまり長く続かずに辞めてしまう事が多かった。

そうこうしているうちに、気づけば30代に突入し、ある時、ふと、とてつもない無気力感に襲われた。そしてそのまま私は引きこもった。
もう、全てがどうでも良くなったのだ。

自分が何のために生きているのかも分からなくなり、何のために働いているのか、何のために食べているのか、お金ってそもそも要るものなのか、分からなくなってしまった。

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人はひとたび引きこもると、もう元の世界へは自力では戻れなくなるらしい。
私は、引きこもりの楽さにすっかり溺れ、部屋から出られなくなってしまった。

両親は当然心配し、何度も様子を見に来て、励まし、就職先を探してくれた。

もう70歳を超えた両親にそんな風に世話を焼かせている自分が情けなくなり、何に対してだか分からず、無性に腹立たしくなり、ついには両親に「もう構わないで」と怒鳴りつけて追い返してしまった。

ああ、そうか、と思った。

引きこもりやニートが親に辛く当たるのは、きっと、このやり場のない情けなさと虚しさと申し訳なさが、どうしようもない怒りになぜか変換されて、それが身内という甘えられる存在に対して爆発してしまうんだなぁ、と分かった。

申し訳ないとは思っているのだ。
でも、自分ではどうしようもない。

この無気力な人生を、どう生きていけというのだろう。

引きこもりデビューから7年。38歳になった私は、ただただひとり、狭い部屋の中で時が過ぎるのをぼんやりと感じて過ごしていた。

そんな私を時折訪ねてくれる友人がいた。

高校と大学が同じで、よく一緒に遊んでいた友人だったが、いつも何かと気にかけてくれていた。私が精神疾患にかかった時の事をよく知っていて、そのせいで引きこもりになった私を責める事なく、ただ一理解者としてお節介を焼いてくれるのだった。

同じ38歳の彼女は独身だがバリバリのキャリアウーマンで、生命保険会社の営業としてかなり良い成績を収めているらしい。

「周りがみーんな結婚しちゃってさ、つまんないからあんたんとこに来てんの」
彼女はきまってそう言って、私の部屋にずかずかと上がり込んだ。

普段は就職の事など一切口にしない彼女が、求人広告を持ってくるなんて、正直驚いた。

最初こそ「ああ、ついにこの子まで私に余計なちょっかいを出すようになっちゃったんだな」と残念に思ったが、彼女はチラシを渡すだけ渡して、特に何かを押し売りすることなく、別の話を始めた。

不思議に思ったものの、会話が途切れた瞬間、ふとチラシに目を落とすと、彼女が何気なく「ん?なんか気になる?」と聞いてきた。

「別に。でもそろそろどうにかしなきゃな、とは実は思ってる」

そう返すと「うん、そんな頃かなぁと思ってた。それさ、あんたに合ってるんじゃないかと思って持ってきたんだ。とにかくあんた、人と関わるの嫌いで引きこもってるんでしょ?工場勤務の仕事、人と関わる事ほっとんど無いし、なんなら化粧しなくたってOKだし、単純作業でマニュアルもちゃんとしてるから先輩になにか逐一聞かなきゃいけないって事もないし、簡単な仕事らしいから、最初の一歩にはちょうどいいんじゃない?」と一気にまくし立てた。

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チラシをよく見ると、確かに工場での仕事の求人チラシだった。

時給制のパートやアルバイトの募集が多い中、ちらほら正社員登用や月給制の契約社員としての雇用形態をとっているものも見受けられた。

そのほとんどが「未経験OK」や「初心者歓迎」と書いてあり、「簡単な仕事」とアピールをしている工場が多く、そのわりに給料は最低賃金よりも少し高めに設定されていた。

「工場での仕事って最近は主婦とか、女性に人気があるらしいんだよね。簡単な作業が多かったり、空調効いてる部屋でイスに座って作業できたり、40代からでもとにかくラクらしいよ」

こんな引きこもりみたいな人間でも本当に社会復帰できるのだろうか、と不安がよぎったが、そもそも対人関係のストレスで引きこもっている私なのだから、こういう流れ作業のような簡単な仕事を黙々とやる分には、もしかしたらストレス無く働けるのかもしれない、と思うようになった。

とにかく魅力的だと思った特徴は、接客業ではないという事。
そして社内の人間関係に頭を悩ます事もなさそうだというところ。

この2つをクリアしていれば、私にもできそうな気がした。

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そもそも普通にアルバイトを探すと、どうしても未経験可のアルバイトで主流になるのが、レストランやファストフード店の店員、居酒屋の店員、ショップスタッフなど、基本的に対人が絶対というもので、だから私はこうして引きこもってしまっているわけだ。
それが、工場での裏方の仕事だとしたら、この私の最大の敵、接客、対人のストレス無く、働く事ができるかもしれない。

わりと食い入るようにチラシを見ていたらしい。
友人が「もし自分で電話したり応募したりするのが怖かったら手伝うよ?」と声をかけてくれた。

私はありがたくその申し出を受ける事にした。

2人でどの工場に応募するか相談した。

目立ったのは「ピッキングや梱包などのカンタン作業」というものだった。

「ピッキング・・・?」

初めて聞いたような気がしたその見慣れないカタカナに、友人が「なんていうか、仕分け?商品をピックアップするような作業のこと」と答えてくれた。

それから食品工場での作業をするという内容のものもあった。

色々見てみたが、家から比較的近く、働く時間が比較的自由に選べて、服装や髪型が自由、という「未経験者歓迎」のピッキングや梱包のパートに応募する事にした。

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いきなり正社員は無理だろうと思ったし、まずは短時間パートから体と心を慣らした方が良いという友人からのアドバイスもあり、ここに決めた。

ものすごく久しぶりの面接は吐き気を催すぐらい緊張したが、友人に練習台になってもらい、準備もきちんとして、自分なりに気合を入れて臨むことができた。

久々に友人以外の人間と面と向かって話すのは、なんだかむず痒いような、落ち着かないような、変な気がしたが、面接官の方は私の諸々の事情も分かった上で、優しく対応してくれた。

「うちはとにかく人手が足りなくて、すぐにでも働いてもらえる人がほしいんだけど、明日からとかってもう来れますか?」

そう聞かれて、私は二つ返事で承知して「よろしくお願いします」と頭を下げた。

かくして、私の就職がめでたく決まったのだ。

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それから私の毎日はガラリと変わった。

まず、これは友人の強い勧めがあり、そうさせてもらったのだが、早番はやめておけというので、遅番のシフトから始めて、朝は12時頃に起きれば十分間に合うくらいの時間から準備して、午後に出勤した。

それから夜まで働くわけだが、これは私が引きこもり生活ですっかり夜型の人間と化していたためだ。

どうせ一人じゃ朝起きられないから、慣れるまでは遅番でシフト組んでもらいな、という友人からのアドバイスだった。

短時間パートだったため、13時から17時まで作業し、30分の休憩を挟み、17時半から21時までまた作業して、終了だった。

服装や髪型は自由との事で、スウェットで行っても誰にも何も文句は言われず、化粧をしていなくても誰からもつっこまれなかった。

作業の説明をしてくれる上長や同僚はいるにはいたが、作業そのものがとんでもなく簡単な単純作業だったため、私は初日だけである程度の仕事を把握し、早速戦力として作業に加わった。

仕事内容は、指定された数の商品をまとめて仕分けするというもので、意外と倉庫間の移動があり、身体を動かした。

こんなに長時間働いたのは何年ぶりだろうというくらいだったので、大変に疲れた。
帰宅すると、すぐに眠りに落ちた。

つまり、22時過ぎにはもう夢の中という事になる。
そうなると、徐々に朝起きる時間が早くなってきた。

そして体力もつき始め、もっと長時間働いても良いかな、と思うようになった。

私は上長に早番の8時間勤務の希望を申し出た。

まさか自分にもこんなにやる気があったとは思えず驚いたが、もっと働きたい、もっと稼ぎたいと思うようになっていたのだ。

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まず、これほどまでに「行きたくない」と思う事のない職場があるのか、という事に驚愕した。

昔働いていた頃は、毎日家を出る事がしんどかった。またあの職場に行くのか、またあの嫌な人たちに会うのか、またあのクレーマーの餌食になるのか、そう思うと頭痛や嘔吐感に襲われて気分が悪くなった。

そういったストレスが全く無く、仕事に行くという事が辛くもなんともなかった。

客と直接やりとりしないため、毎日会うのは決まった従業員だけ。比較的年配者が多く、ほとんどの方が私よりもひとまわりほど年上だったため、40近くもなって、よく可愛がってもらえた。

嫌味な人はおらず、ギラギラした競争の世界でもなかったため、本当に穏やかだった。

これほどまでに対人ストレスの無い職場がこの世にあったなんて知らなかった。

それから、私は、こうして身体を動かして、働いて、心地よい疲労感に包まれて良質な睡眠を取るという基本的な幸せを久々に感じ、それがまた次の働く意欲につながっていた。

最後に、どんなに簡単な作業でも、単純な仕事でも、これが必要とされている仕事なんだと実感できたこと。つまり、やりがいを感じられた事が、最大の幸せだった。

私が勤める事になった工場は、文房具や日用雑貨など、大手スーパーやデパートなどでよく目にする商品を扱っていたため、時折街中で目にする事があった。

そういったものを見るたびに「これはうちの工場で作ってるんだよな」と思うと、自分がその一員である事を誇らしく思った。

私が順調に働いているのを、友人は嬉しそうに見守ってくれたし、私は私で勇気を出して両親に近況報告に行ってきた。

両親は涙を流して娘の社会復帰を喜んでくれた。

心配かけて申し訳なかったと心から素直に謝れた。初任給の使い道に迷い、必要な生活費を出して余った分のお金は口座に入ったままだ。これで両親に何か美味しい食事でもご馳走しよう、そう思った。

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